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大窪寺
四国霊場八十八ヶ所・第88番札所で、結願の寺。矢筈山(788m)の東側にあり、寺に上る石段脇に「八十八番結願所」の石碑があり、参拝客には感慨深いものがあります。二天門をくぐると正面に本堂があります。大師堂の内拝口から地下へ進むと、中には八十八ヶ所すべての本尊があり、お砂踏みができます。大窪寺は、行基菩薩にはじまり、弘法大師が奥の院の岩窟で修行し中国の恵果阿闇梨(けいかあじゃり)から授かった錫杖を納めて山の窪地に寺を建てたことから寺の名がつきました。古くから女性の参拝を許していたので、「女人高野」と言われています。 映画「ロード88」のロケ地にもなりました。
香川県東部(津田の松原など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 【文化】映画ロケ地 -
総本山善通寺
四国霊場八十八ヶ所・第75番札所。弘法大師の誕生地にして、真言宗善通寺派の総本山。弘法大師の誕生した地として知られる真言宗最初の根本道場。高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに大師三大霊跡のひとつで、空海ゆかりの国宝や大楠があり、創建当時の伽藍配置を残しています。唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため、大同2年(807年)から6年の歳月をかけて建立した真言宗最初の根本道場で、文君佐伯善通公の名をとって寺号としました。 境内(総面積約45,000㎡)は、東院(金堂、釈迦堂、五重塔)と西院(御影堂、聖霊殿、護摩堂など)とに分かれ、四季を通じて参拝客が絶えない。 映画「少林寺拳法」「ロード88」「サマータイムマシン・ブルース」「曲がれ!スプーン」のロケ地にもなりました。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 【文化】映画ロケ地 -
【宇多津町】郷照寺(第78番札所)
四国霊場八十八ヶ所・第78番札所。奈良時代に高僧・行基が開創した。弘法大師が本尊を刻み、厄除けの誓願を行ったことから、厄除けうたづ大師として信仰を集めるようになった。真言宗と時宗の両宗を奉ずる四国札所唯一の寺。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
屋島寺
四国霊場八十八ヶ所・第84番札所。もとは天平勝宝5年に鑑真和上が唐から難波に向かう途中屋島を訪れ、屋島北嶺にお堂を建てたのがはじまりで、四国霊場唯一鑑真和上が開基したお寺として有名です。のちの弘仁6年に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により北嶺にあった伽藍を南嶺に移し、十一面千手観音坐像を刻んで本尊とし、第84番の霊場に定められました。
高松市周辺(栗林公園、屋島、直島など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
宝生院のシンパク
小豆島八十八ヶ所霊場の1つ、宝生院の境内にある真柏(シンパク)の大樹。真柏としては国指定の特別天然記念物で、日本最大のものと言われています。応神天皇の手植えによるものと伝えられ、樹齢はなんと1500年以上。幹の周囲が16.6mもあるその雄大な姿からは、悠久の歴史が感じられます。
小豆島(寒霞渓など) 【自然】絶景・景勝地・天然記念物 【歴史】四国遍路、島遍路 -
出釋迦寺
四国霊場八十八ヶ所・第73番札所。真言宗御室派。本尊は弘法大師作の釈迦如来で、虚空蔵菩薩も安置されている。お大師さまが釈迦如来を自ら刻み寺を建立して「出釈迦寺」と名づけ、山の名を我拝師山と改めたと伝えられ、300年ほど前までは、山上が札所になっていたが、今は麓に下ろされてお参りしやすくなっている。境内には学問成就や物忘れの多い方にご利益があるという求聞持大師像がある。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
甲山寺
四国霊場八十八ヶ所・第74番札所。甲山寺は善通寺派の関係寺院で本尊は薬師如来。弘法大師が満濃池を修築した功績で朝廷より賜った報償金によって寺を建て、自ら本尊を祀ったと伝えられている。本堂左手の石段を登ると大師堂、その上には寺の縁起となった毘沙門天を祀る岩窟がある。四国霊場第74番にあたる語呂合わせで、自己・病気は74(なし)の寺。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
天皇寺
四国霊場八十八ヶ所・第79番札所。五色台にある。崇徳上皇の冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され、天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」と呼ばれるようになった。近くには、天皇陵や崇徳上皇ゆかりの神社や史跡が点在する。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
曼荼羅寺
四国霊場八十八ヶ所・第72番札所。創建は飛鳥時代の596年と伝えられ、最初は世坂寺と呼ばれていた。弘法大師が唐から帰ってのち、母・玉依御前の菩提寺としておよそ3年かけて寺を建立し、曼荼羅と改名したと伝えられている。石橋を渡ると正面が格天井も見事な本堂、その右手が藤原時代の聖観音立像が安置された観音堂。石橋の左手奥には桜の木に囲まれた大師堂がある。また、境内には、春の日に西行が腰かけているうちに眠ってしまったという「西行の昼寝石」や、桜の花が咲くころ笠を桜の木にかけたまま忘れてしまったという「西行法師笠掛けの桜」がある。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
弥谷寺
四国霊場八十八ヶ所・第71番札所。仁王門から本堂までの急勾配な石段は、なんと540段という難所。大師堂は、岩壁を背に、囲まれたように建てられている。中へ入ると獅子が口を開いたような形をした岩窟があり、大師像など、数々の仏像が安置されている。また、境内のあちこちでは「麿崖仏(まがいぶつ)」を拝むことができる。
香川県西部(琴弾公園など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
根香寺
四国霊場八十八ヶ所・第82番札所。巡行中の弘法大師が、この地を訪れて五色台の中の主峰、青峰五大明王を祀り花蔵院と称しました。また、智証大師が香木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したと伝えられています。
高松市周辺(栗林公園、屋島、直島など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
金倉寺
四国霊場八十八ヶ所・第76番札所。天台宗寺門派の園城寺の末寺で、本尊は智証大師作の薬師如来、脇に日光・月光両菩薩を安置している。また、寺宝としては鎌倉時代の作で国の重要文化財「絹本著色智証大師像」と室町時代の作とされる市指定文化財の「絹本著色両界曼荼羅」がある。空海の姪の子にあたる円珍(智証大師)が原田の里にあった道善寺を金倉郷の円珍誕生の地に移転拡大し、延長6年(928年)に金倉寺と名を改めたと伝えられている。明治時代には、善通寺第十一師団初代師団長の乃木希典が宿舎として住み、狩野派の絵師が描いた襖絵も見事な客殿には、文具や軍帽などの遺品が大切に保管されている。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
雲辺寺
阿讃山脈の雲辺寺山(標高927m)に「66番札所雲辺寺」がある。四国霊場中最高峰に位置すること、また修行道場であったことから別名「四国高野」とも呼ばれている。香川県の1番ではあるが実際は徳島県に位置する。ただし、登山ロープウェイは香川県側にある。境内は約40ヘクタールの広さを持ち、杉、ひのき、モミ、トガなどの古木に囲まれており神々しいばかりの霊気をかもし出している。およそ1200年の歴史を持ち、弘法大師が刻んだといわれる秘仏「千手観音菩薩像」が本尊として祀られている。正月の初詣でのもち投げ大会、春のお遍路さんによる札所めぐりなど一年を通して数多くの参拝客が訪れる。また、境内にはおたのみなすが設置され、近年は「物事が成就する」ということで若い女性が多く訪れる。
香川県西部(琴弾公園など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
【宇多津町】宇多津古街(こまち)
宇多津古街は中世以降に港町として繁栄した地区で、由緒ある神社仏閣や、古い日本家屋の「町家」が作られ、それが今も多く残っている。 四国八十八ヵ所霊場の第78番札所「郷照寺」があることから、遍路道として利用されており、お遍路さんの姿がよく見られる。 古街の道路はエリアの雰囲気に合わせて燻しレンガを使って整備されており、またコンパクトな規模で起伏もないことから、歩いて散策するには最適である。 「郷照寺」の他にも、三角屋根の洋館が特徴的な「倉の館三角邸(さんかくてい)」、遷座1200年の歴史をもつ「宇夫階(うぶしな)神社」など、歴史や文化を感じさせる建物が数多く建ち並んでいる。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【文化】町並み・景観 【歴史】四国遍路、島遍路 -
観音寺・神恵院
今から1,300年ほど前に、日証上人が琴弾八幡宮の別当として創立。国の重要文化財観音寺金堂がある。大同年間弘法大師が7代住職の時、本尊 聖観世音菩薩をはじめ諸像を安置し、七堂伽藍を建立して観音寺と改める。四国霊場88ケ所の内、琴弾八幡宮が68場番札所、観音寺が69番札所であったが、明治初年の神仏分離で、西金堂に移して神恵院の本堂とし、68番札所としたため、四国霊場で唯一の珍しい1山2霊場となった。
香川県西部(琴弾公園など) 【歴史】四国遍路、島遍路 -
前山おへんろ交流サロン
お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場。へんろ資料展示室には、江戸時代の紀行本や古地図など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料が多く展示されている。
香川県東部(津田の松原など) 【歴史】四国遍路、島遍路 文化・歴史 -
白峯寺
四国霊場八十八ヶ所・第81番札所。五色台の白峰山にある。弘仁6年(815年)弘法大師(空海)が、白峯山中に如意宝珠を埋め、閼伽井(あかい)を掘り、堂を建立したと伝えられている。県道鴨川・五色台線から白峯寺へ入る途中にある苔むした石造りの塔は「白峯寺十三重塔」で、崇徳上皇の供養塔とも伝えられ、国指定の重要文化財である。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
道隆寺
四国霊場八十八ヶ所・第77番札所。和銅5年(奈良時代頃)この地方の領主・和気道隆公が、誤って射た乳母の供養に桑の大木から薬師如来像を彫り、堂を立てたのが寺のおこりといわれている。その領主の名に由来して道隆寺とされた。のちに弘法大師が薬師如来を彫り、領主の小像を胎内に納めて安置したので二体薬師とも呼ばれ秘仏となっている。また、目なおし薬師として眼病にご利益があると信仰されている。
香川県中部(瀬戸大橋、丸亀城、金刀比羅宮など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
八栗寺
四国霊場八十八ヶ所・第85番札所。弘法大師が修行中に5本の剣が降ってきたので、それを山中に埋めて山の鎮護とし大日如来の像を刻んだことにちなみ、五剣山と名付けられました。また入唐前に入唐求法の成否を占うために植えた8個の焼き栗が、帰国後再訪すると全て成長繁茂していたので、八国寺を八栗寺と改めました。
高松市周辺(栗林公園、屋島、直島など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣 -
国分寺
四国霊場八十八ヶ所・第80番札所。天平13年聖武天皇の勅願により、全国に国分寺が建立され、阿波15番札所・土佐29番札所・伊予59番札所の国分寺と同じく行基の手で十一面千手観世音菩薩を安置して開基されました。のちの弘仁年間に弘法大師が留錫して本尊を補修、堂塔を増築し、霊場に定めました。
高松市周辺(栗林公園、屋島、直島など) 【歴史】四国遍路、島遍路 【歴史】寺社仏閣