有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えます。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたと…
有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えます。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたと…
有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えます。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたと…
有明浜の砂に描かれた「寛永通宝」は、東西122m南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えます。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作られたと…
築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する『木造天守十二城』の一つ。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描きます。この白亜の三層三階の木造天守…
築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する『木造天守十二城』の一つ。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描きます。この白亜の三層三階の木造天守…
総本山善通寺は、弘法大師空海が御誕生された地であり、四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。また京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめています。 総面積約…
総本山善通寺は、弘法大師空海が御誕生された地であり、四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。また京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめています。 総面積約…
四国霊場八十八ヶ所・第84番札所。もとは天平勝宝6年に鑑真和上が唐から東大寺に向かう途中屋島を訪れ、屋島北嶺にお堂を建てたのがはじまりで、四国霊場唯一鑑真和上が開基したお寺として有名です。のちの弘仁6年に弘法大師…
四国霊場八十八ヶ所・第84番札所。もとは天平勝宝6年に鑑真和上が唐から東大寺に向かう途中屋島を訪れ、屋島北嶺にお堂を建てたのがはじまりで、四国霊場唯一鑑真和上が開基したお寺として有名です。のちの弘仁6年に弘法大師…
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。年3回の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎興業などを行っていましたが、江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、門前町の形態が整うにつれ常小屋が必要とな…
天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋。年3回の「市立ち」の度に仮設小屋で歌舞伎興業などを行っていましたが、江戸時代中頃から金毘羅信仰が全国的に高まり、門前町の形態が整うにつれ常小屋が必要とな…
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が白鳥になって降り立ったといわれる神社。春・夏・秋に、盛大な大祭が開催されます。また、神社内にある通称「御山(みやま)」は標高3.6m。日本一低い山として地域おこしをしています…
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の魂が白鳥になって降り立ったといわれる神社。春・夏・秋に、盛大な大祭が開催されます。また、神社内にある通称「御山(みやま)」は標高3.6m。日本一低い山として地域おこしをしています…
讃岐宮香川縣護國神社は約1万200坪の広大な敷地を有し、約4,600本の木々が植えられた緑の森に囲まれています。ここは明治維新以来、国のために尊い命をささげた香川県出身の英霊を主祭神とし警察消防の殉職者が祀られて…
讃岐宮香川縣護國神社は約1万200坪の広大な敷地を有し、約4,600本の木々が植えられた緑の森に囲まれています。ここは明治維新以来、国のために尊い命をささげた香川県出身の英霊を主祭神とし警察消防の殉職者が祀られて…
桃太郎と三人の勇士、爺婆の墓や石碑がある。鬼無桃太郎伝説は稚武彦命が三人の勇士を従えて海賊退治をおこなったという話を、讃岐国司だった菅原道真が地元の漁師から聞き、おとぎ話にまとめたものが全国に広まったとされていま…
桃太郎と三人の勇士、爺婆の墓や石碑がある。鬼無桃太郎伝説は稚武彦命が三人の勇士を従えて海賊退治をおこなったという話を、讃岐国司だった菅原道真が地元の漁師から聞き、おとぎ話にまとめたものが全国に広まったとされていま…
四国霊場八十八ヶ所・第71番札所。仁王門から本堂までの急勾配な石段は、なんと540段という難所。大師堂は、岩壁を背に、囲まれたように建てられています。中へ入ると獅子が口を開いたような形をした岩窟があり、大師像など…
四国霊場八十八ヶ所・第71番札所。仁王門から本堂までの急勾配な石段は、なんと540段という難所。大師堂は、岩壁を背に、囲まれたように建てられています。中へ入ると獅子が口を開いたような形をした岩窟があり、大師像など…
四国霊場八十八ヶ所・第77番札所。和銅5年(奈良時代頃)この地方の領主・和気道隆公が、誤って矢で射殺してしまった乳母の供養に桑の大木から薬師如来像を彫り、堂を立てたのが寺のおこりといわれています。その領主の名に由…
四国霊場八十八ヶ所・第77番札所。和銅5年(奈良時代頃)この地方の領主・和気道隆公が、誤って矢で射殺してしまった乳母の供養に桑の大木から薬師如来像を彫り、堂を立てたのが寺のおこりといわれています。その領主の名に由…
1688年、丸亀藩京極二代目藩主により築庭された約15,000坪の池泉回遊式の大名庭園。 園内には、フランス・バルビゾン派の絵画を展示している『絵画館』、現在のイラン・イラクを中心として出土した、紀元前2500…
1688年、丸亀藩京極二代目藩主により築庭された約15,000坪の池泉回遊式の大名庭園。 園内には、フランス・バルビゾン派の絵画を展示している『絵画館』、現在のイラン・イラクを中心として出土した、紀元前2500…
四国霊場八十八ヶ所・第86番札所。大きな五重塔が目印の志度寺は、瀬戸内海(志度湾)がすぐ近くにあり、あたりに潮の香りが漂います。志度寺縁起にもなっている龍神から宝珠を取り返す「海女の玉取り伝説」が伝わっており、境…
四国霊場八十八ヶ所・第86番札所。大きな五重塔が目印の志度寺は、瀬戸内海(志度湾)がすぐ近くにあり、あたりに潮の香りが漂います。志度寺縁起にもなっている龍神から宝珠を取り返す「海女の玉取り伝説」が伝わっており、境…
四国霊場八十八ヶ所・第87番札所で、街中にあります。山門の仁王門は鐘楼を兼ねており、大草鞋がかかっています。その門前にある「経幢(きょうどう)」は元寇の役の出征将兵の霊を慰めるために建てられた供養塔で、国の重要文…
四国霊場八十八ヶ所・第87番札所で、街中にあります。山門の仁王門は鐘楼を兼ねており、大草鞋がかかっています。その門前にある「経幢(きょうどう)」は元寇の役の出征将兵の霊を慰めるために建てられた供養塔で、国の重要文…
四国霊場八十八ヶ所・第76番札所。天台宗寺門派の園城寺の末寺で、本尊は智証大師作の薬師如来、脇に日光・月光両菩薩を安置している。また、寺宝としては鎌倉時代の作で国の重要文化財「絹本著色智証大師像」と室町時代の作と…
四国霊場八十八ヶ所・第76番札所。天台宗寺門派の園城寺の末寺で、本尊は智証大師作の薬師如来、脇に日光・月光両菩薩を安置している。また、寺宝としては鎌倉時代の作で国の重要文化財「絹本著色智証大師像」と室町時代の作と…
四国霊場八十八ヶ所・第85番札所。弘法大師が修行中に5本の剣が降ってきたので、それを山中に埋めて山の鎮護とし大日如来の像を刻んだことにちなみ、五剣山と名付けられました。また入唐前に入唐求法の成否を占うために植えた…
四国霊場八十八ヶ所・第85番札所。弘法大師が修行中に5本の剣が降ってきたので、それを山中に埋めて山の鎮護とし大日如来の像を刻んだことにちなみ、五剣山と名付けられました。また入唐前に入唐求法の成否を占うために植えた…
四国霊場八十八ヶ所・第67番札所、別名「小松尾寺」。仁王門は見ごたえがあり、寄木造りの金剛力士像は、高さが3.14mで四国霊場最大の大きさ。また、仁王門をくぐると、弘法大師御手植えのいわれが残るクスやカヤの大木が…
四国霊場八十八ヶ所・第67番札所、別名「小松尾寺」。仁王門は見ごたえがあり、寄木造りの金剛力士像は、高さが3.14mで四国霊場最大の大きさ。また、仁王門をくぐると、弘法大師御手植えのいわれが残るクスやカヤの大木が…
阿讃山脈の雲辺寺山(標高927m)に「66番札所雲辺寺」があります。四国霊場中最高峰に位置すること、また修行道場であったことから別名「四国高野」とも呼ばれています。香川県の1番ではありますが実際は徳島県に位置しま…
阿讃山脈の雲辺寺山(標高927m)に「66番札所雲辺寺」があります。四国霊場中最高峰に位置すること、また修行道場であったことから別名「四国高野」とも呼ばれています。香川県の1番ではありますが実際は徳島県に位置しま…
四国霊場八十八ヶ所・第82番札所。巡行中の弘法大師が、この地を訪れて五色台の中の主峰、青峰に花蔵院と建立しました。また、智証大師が霊木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したと伝えられ…
四国霊場八十八ヶ所・第82番札所。巡行中の弘法大師が、この地を訪れて五色台の中の主峰、青峰に花蔵院と建立しました。また、智証大師が霊木で千手観音像を刻んで千手院を創建し、この二院を総称して根香寺と号したと伝えられ…
四国霊場八十八ヶ所・第72番札所。創建は飛鳥時代の596年と伝えられ、最初は世坂寺と呼ばれていました。弘法大師が唐から帰ってのち、母・玉依御前の菩提寺としておよそ3年かけて寺を建立し、曼荼羅と改名したと伝えられて…
四国霊場八十八ヶ所・第72番札所。創建は飛鳥時代の596年と伝えられ、最初は世坂寺と呼ばれていました。弘法大師が唐から帰ってのち、母・玉依御前の菩提寺としておよそ3年かけて寺を建立し、曼荼羅と改名したと伝えられて…
偕行社とは、明治10年に創立された陸軍将校の親睦及び学術研究を目的とする団体の名称。この偕行社が社交場として建設した建物にもその名が用いられたため、偕行社という名の建物は代表的な師団が開設された場所、つまり全国的…
偕行社とは、明治10年に創立された陸軍将校の親睦及び学術研究を目的とする団体の名称。この偕行社が社交場として建設した建物にもその名が用いられたため、偕行社という名の建物は代表的な師団が開設された場所、つまり全国的…