「四国遍路」を見る旅

地元さぬきでは「お大師さん」と親しみを込めて呼ばれる弘法大師・空海。そのルーツを巡りながら、うどんの歴史を紐解きます。
およそ1200年前に空海が修築したことで知られる満濃池。2016年11月には世界かんがい施設遺産の認定を受けました。
中国で当時最先端の学問を修めた空海が、“こんとん”と呼ばれる麺の製法を持ち帰り、修築にあたった農民たちへ振る舞ったのが、さぬきうどんのはじまりとも云われています。
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日本を代表する農業用ため池「満濃池」のゆる抜きは、本格的な田植えシーズンの訪れを告げる風物詩となっており、毎年多くの見物客が訪れます。
 

四国霊場第75番札所「総本山善通寺」は空海の父である佐伯直田公(さえきあたいのたぎみ)が創建した「伽藍(がらん)」と称される東院と、空海が生誕した佐伯家邸宅跡に建立された「誕生院」と称される西院に分かれています。東院の境内には高さ46m、総けやき造りの五重塔が鎮座します。
空海が本尊となる等身大の薬師如来坐像を彫造し、錫杖を納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めたと伝えられます。順打ちで巡ると最後の札所となるため、納経印は「結願所」(けちがんしょ)となっています。
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「一生に一度はこんぴら参り」と言われるほど、全国から参拝客が訪れる金刀比羅宮。785段の石段を上った先にある本宮拝殿からは、条里制が色濃く残るさぬき平野が一望できます。

金刀比羅宮

さぬきの農村では、麦刈りから田植えと忙しかった農作業がようやく一段落する夏至から11日目にあたる「半夏生(はんげしょう)」の日に、その年収穫した小麦を使って、農家の主が農作業を手伝ってくれた人たちへ、うどんを打って振る舞うという伝統的な風習があります。この半夏生に近い7月2日は「うどんの日」と定められています。

 
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「うどんの日」には、本場さぬきうどん協同組合が中野天満宮で献麺式を執り行っています。

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